2009年 07月 13日(月曜日) 23時 28分

信じるも信じないも

 今までに何度か、霊体験をしてきたと書いてきた。

 その度に、それが何の意味があるのかと、悩み考え続けてきた。そして、自分に納得のいく答えを出しては、自分の中でそれを抑え込んでいた。
 どこからともなく聞こえる声に怯え、全く知らない世界を感じ、時には自分の人生に影響を与えていると言ってもおかしくない程の、「それ。」に対してこの数ヶ月の間に出会った人達から、学んだ事がある。

 正直、今までは「それ。」に対して自信がなかったから、正しいのか、間違っているのかと、自分への問答を繰り返すばかりで、何も進展しなかった。誰かの意識を感じても素直にそれを表現出来ないで来た。でも、そんな世界で苦しんだりしながらも、それぞれに自分の才能を開花させ、操る術を身につけて来た人を目の当たりにすると、楽しいと思うようになった。

 そう。知らない人の声も、感じるものにも、答えなんかなくてもいいんだって思うようになったんだよね。それを楽しめるようになれるなんて今までは思いもしなかった。それで人を傷つけるような事にならないようにしたい。まだそこまで自分を信じてはいないから、いつか誰かを傷つけてしまいそう。そんな不安もあったりする。

 今は、感じた事をそのまま伝えればいいだけかもしれない。飛び込んでくる声に対して、僕が感じたままの事を、ただ話せばいいんだって。それが許される人がたくさん居るんだなぁ。

 変な人。とか、不思議な子。とか、言われ続けてきたけど、これからはそう言われても楽しいって思えるかもしれない。その度に悩まなくてもいいんだ。


 だって、僕には感じるんだもの。それを否定してちゃ、何も進まない。

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コメント

許される人がいるのではなく、許してくれる人がたくさん居るだけかな。

ふむ。自分より才能のある人に対しての意味であって、私は何も感じないわって言う人は、まだまだ許されない部分もあるわけですよ。
許してもらえる人も増えたとは思うけど、必ずしも受け入れて貰えるとは限らんからね。
そんな事も感じますわ。

簡単に書いちゃったけど、許してくれる人が集まっているだけっていうことかな。

どんなに聖人でも、仏教徒の前にブッタが現れたら、許されまくりだろうけど、イスラム教のアラー神がきたらブッタ様が正しい!ということになるっしょ。

許してもらえる人が増えたわけではなく、許してくれる人が増えて、居場所が増えたというのが本当のところ。実際に彼らは、許してくれる人の周りに拠点を置いているから、そう見えるだけかな。

同じ価値観を持っている人間の間の話なんだよね。

 ようするに、似たり寄ったりの人が集まってるだけだって言いたいんでしょ?そこは宗教で例える必要なんかないよ。
 許してくれる人が増えて、居場所が増えたってのは分かるけど、許してくれる人の周りに拠点を置いている事で自分が成長するならいいんじゃないの?
 僕、ゲイだけど、事、恋愛においてはゲイを中心に動かないと叶わないんだよ。それと同じだと思ってる。
 居心地良い方がいいし、そこが楽しいけりゃいいじゃない(言葉を某君から借りました。せっかくだから楽しもうよ。と言う意味。)。
 全く同じ価値観を持っている人間なんて居ないんだしさ、当たり前だけど僕の中心はそこだけじゃないし。

 なんか言いたい事わからんくなってきたw

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