久しぶりのスピ的な
ここ最近、新たにいろんな人達と出会う機会もあり、少しずつスピリチュアルな事を無意識のうちに遠ざけておりまして、こうして最近の日記のようにスピを語る事もなく、ただ自分の好きな事をだらだらと楽しんで過ごしています。
去年の今頃は何かに悩み、何かに怯え、何かを授かり受けたいなんて気持ちを抱いていたけれど、この一年間で自分がどれだけ成長したんだろうかと想いを巡らせ、ふと日記を読み返してみました。
あの頃は、自分の中にある"それ"が正しいだろうか、間違ってはいないだろうか、そんな事をいつも考えつつ、わからない事への理解、見えている物への関心を少しでも多く得ようとしていた。悪く言えばがっついていた。それと同時に悪い癖である僕の中の熱、テンションの高さの維持が出来ず、ここ2ヶ月の間にスピリチュアルな物事から遠ざかっている自分を、改めて知った気がします。
それなりに「お願い」を受ける立場になり、数をこなすにつれて学んだことがあります。それは、全ての人に各々の守護霊さんがいらっしゃって、その守護霊さん全てが各々に個性的な言葉遣いや仕草、感情や映像が流れ込む。その全ての中から、そのまま垂れ流してしまうのは、自分自身への身の危険と言うか、クライアント側が怒りや恨みを僕に抱かないだろうかと言う、自分の言葉として発する怖さ。これは自分じゃないんだぞと言う事を理解してもらえない、そんな感情を持つようになってしまった事です。
例えば、「今、好きな人が居るんだ。周りの人達はすごく応援してくれるよ。」とっても素敵なお話ですね。しかし、時として、その方の守護霊さんはこうおっしゃる。「遊ばれてるんですよ。この子。本人は少し分かってるみたいだけど。しばらく支えてやってくれないか。」そんな事を本人に言ってしまえば、当然傷つくし、かと言って「絶対上手く行くよ!」とも言えず、会話が落ち込む方へ向いてしまいそうになって話題を変えてしまう。(少しノンフィクション)
「ありのままの自分でいいよ。」そんな言葉を何人の方から頂いただろうか。今まではそれで良かった。何故ならその相手は僕をよく知る友達だからだ。素直に受けた事をそのままはき出せば良かったから楽だった。けれど、ここ最近知り合った人には、それが通用しないと思うようになってきたんだよね。
僕と守護霊さんの言葉との食い違い。今喋った僕の言葉、これは嘘かもしれない。もし、ありのままを話していたら、自分は嫌われる。でも、嘘をついてる自分も嫌い。というスパイラルへと落ちていく。
先日、アメブロに落ちる日記を書いたけど、まさにこの状態の事と言える。
ゲイである自分に嘘をつきたくないけど、現実社会で生きていく為には最小限の嘘をつかなければならない時がある。それを受け入れる事。
それに似ている気がしてならない。つまり、その似たような事をここでも強いられてしまうのだろうかと言う、なんとも切ない気持ちにさせられてしまうのです。だから、少し遠ざけているのかもしれない。
喋る事が今はすごく難しい。
僕の受信機が壊れている。そんな感じ。最近は人と話す時に正直言って邪魔が多い。運転中に気が緩むと大変。信号無視しかけたりする。でも、回線を緩めなければ人の話しが聞けない。そのかわり多くの情報が流れ込む。遮蔽するのは簡単。ダムの放水に似ている気がする。誰かが話しを始めると、放水開始。話しが終われば止めるのだが、あふれた水で溺れてしまう。なんとも滑稽ですね。だから一人で運転するのが気楽なんだとも思う。
自分らしさ。とは何なんだろうって、深く考えてしまいそうになる。
普段のいつもの僕を知る人達、これは笑い話程度です。そして、最近出会った方達、これは本当のワタシではありません。きっと楽しい日々のはずです。だって、僕が楽しいんだから。変な子。不思議な子。とでも思っていてください。たぶんその通りですから。











